プライバシー権

Privacy

国民の権利と義務を規定している第3章は、憲法が保障する人権の種類がリストされているため、「人権カタログ」とも呼ばれる。憲法制定時には認識されていなかった新しい概念による人権が憲法で十分に保障されるか否か、憲法を改正し新たに規定すべきかが争点になってきた。憲法改正の是非において主に議論される「新しい人権」は「プライバシー権」、「知る権利」、そして「環境権」である。いずれも背景には、都市化や情報化などによる社会の変化を受けて、これらの人権が従来の人権意識では十分に守ることができないのではないかという問題意識がある。一方で、いずれの「新しい人権」も、既存の条文が根拠たりえるという立場から憲法改正の必要性を退ける立場もある。

「プライバシー権」は私事・私生活をむやみに公開されない権利であるが、「プライバシー」という概念が日本で広く認識されるきっかけとなったのは1961年の「宴のあと」裁判がきっかけである。小説のモデルとなった元外務大臣の有田八郎がプライバシーの侵害を主張して、作家の三島由紀夫と出版社の新潮社を訴えた裁判だった。裁判では「表現の自由」は他の名誉や信用、そしてプライバシー等の法益を侵害しない限りで認められると判断された。少年法が保護する未成年加害者の実名報道の是非、ストーカーや児童ポルノの規制、リベンジ・ポルノの防止、インターネット上に拡散され残存するプライバシーの削除を求める「忘れられる権利」、本人の了承なしに性的指向や性自認を暴露するアウティングの問題など、プライバシーをめぐる権利については、実際の事件や裁判が契機となり議論と法整備が進んだ。2000年代に入ると、情報化を背景に、個人情報の保護の必要性が検討されるようになった。2003年には個人情報保護法が成立、2005年から全面施行された。国による個人情報の取り扱いに対する懸念から賛否の分かれた行政手続きのための個人識別番号制度、通称・マイナンバー制は2013年に法律が成立、2016年に運用が開始された。なお、プライバシー権は、明文化はされてはいないが日本国憲法第13条の「個人の尊重」に紐づき保障されていると解釈される。

民主党政権期(2009-2012)を除き、1999年から自民党と連立政権を運営してきた公明党は、憲法改正に関して比較的慎重な姿勢を堅持してきた。しかし公明党は憲法改正自体に否定的ではなく、日本国憲法が掲げている「恒久平和主義」、「基本的人権の尊重」、「国民主権」を維持しながら、時代の変化によって出てきたさまざまな社会的要請を受けて憲法を補強する「加憲」の立場をとっている。そして、憲法に加えるべき新しい理念や権利として「環境」、「プライバシー」、「地方自治」を挙げている。