宮澤俊義

MIYAZAWA Toshiyoshi

宮澤俊義(1899–1976)は、憲法学者として東京帝国大学・東京大学で教授を務め、戦後の日本国憲法の解釈・研究に大きな影響を与えた。

1945年に設置された憲法問題調査委員会(松本委員会)では委員を務め、委員会内で比較的リベラルな内容を持つ「宮沢甲案」の作成に関わったことで知られる。1946年2月1日、毎日新聞は、この「宮沢甲案」とほぼ同じ内容の試案を「憲法問題調査委員会試案」として第1面に掲載した。同紙はこの試案を「保守的、現状維持的」と評価した。他の新聞各紙も政府および松本委員会の姿勢に批判的な論調を示しており、このスクープ記事を契機として、GHQは日本政府による自主的な憲法改正作業を見限り、独自の憲法草案の作成に踏み切ったとされる。

戦後は東京大学法学部教授として日本国憲法の体系的な研究を進め、戦後憲法学の基礎を築いた。また、1947年に刊行された『あたらしい憲法のはなし』などを通じて、国民主権や基本的人権をはじめとする日本国憲法の基本原理を広く一般に紹介した。