中山太郎

NAKAYAMA Tarō

中山太郎は、1968年から1986年まで参議院議員、また1986年から2009年まで衆議院議員として活動。政治家になる以前は、小児科医であった。両親ともに国会議員であり、母の中山マサは女性として初めて閣僚を務めた。

1990年代後半、「憲法調査推進議員連盟」を立ち上げ、衆参両院に憲法論議のための委員会を設置すべく動いた。衆議院に2000年に「憲法調査会」が、また2005年に「日本国憲法に関する調査特別委員会」が発足した際には委員長を務めた。

中山は、日本国憲法は米国により作成されたものであり、日本の歴史、価値観、伝統を反映しておらず、改正されるべきだと主張した。さらに、2003年当時、議論となった自衛隊の合憲性や女性天皇の可能性などに触れ、他の多くの諸外国で憲法改正が行われていることも引き合いに出し、日本も時代の変化に合わせ現行憲法を更新すべきだと述べた。

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