中曽根康弘

NAKASONE Yasuhiro

中曽根康弘は、海軍少佐として終戦を迎え、1947年の衆議院総選挙に出馬、初当選した。先述の経歴から、若手議員時代には青年将校と呼ばれた。1955年の保守合同による自民党結成まで、民主党、国民民主党、改進党、日本民主党に所属し、芦田均らと再軍備、憲法改正を主張した。

1982年から1987年に内閣総理大臣を務め、共に新自由主義路線をとったロナルド・レーガン米大統領と「ロン=ヤス」関係を築き、日米関係を強化した。

1988年に防衛庁(後に防衛省)、外務省他関連省庁を主務とする政策提言機関、世界平和研究所が設立されると会長に就任した。世界平和研究所は2018年に中曽根康弘世界平和研究所に改称。なお、中曽根は悲願であった憲法改正を見ることなく、2019年に101歳で死去した。

中曽根によって1961年に作成された「憲法私案」は当時は発表されることなく、36年後に公開された。「私案」は、中曽根が長年追求した首相公選制の他、天皇の元首化、内閣総理大臣が最高指揮権を有する自衛軍による集団的安全保障参画などを規定する内容になっている。

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